一人遊び日記

やられたらやり返すという思考の弊害

過去のフラッシュバックに打ちのめされ、闇の中にとらわれないよう、考える隙間を埋めるような努力をしてないでしょうか。頑張りすぎはよくないよ。今回は「やられたらやり返すという思考の弊害」という重たいテーマで話をしたいと思います。

「堂々巡りの闇は終わらない。やられたらやり返すという思考が人の頭に染みをつける限り、いじめは問題になっても解決できない。」

人に傷つけられ人を傷つける。僕も含めて人はやられたらやり返すという思考を少なからず持っていると思います。傷つけられた怒りや「生きていてごめんなさい」と思ってしまう程の自責の念や、傷をつけた罪悪感に頭の中が狂ってしまいます。無意識のうちに人を傷つけることもあるため、口は災いの元だと思わされることはとても多いです。被害者であり加害者でもある僕らはいきづらい世の中を歩いていると思います。

人や物を傷つけ返すことで「ざまあみろ」のような瞬間的な快楽を得られるかもしれませんが、今回はやられたらやり返すという思考の弊害について考察したいと思います。

今回のテーマ「やられたらやり返すという思考の弊害」について

弊害は以下の3つです

人に闇をぶつけても相手は闇を受け取るため闇が伝播していく

罪悪感に苛まれる

エスカレートして両者とも苦しむ

生きづらい世の中について僕なりの飛びf越え方を話そうと思います。

人に闇をぶつけても相手は闇を受け取るため闇が伝播していく

自分自身が闇を晴らしたとしても自分を傷つけた人は闇を受け取ります。つまるところ、堂々巡りのうえ傷つけた人が他の人を傷つけ闇が間接的に自分へ帰ってくることになります。やり返した闇そのものが消えることがないためやり返すくらいなら、自分に仕掛けられた怒りや苦しみを自分のエネルギーに変えられたらいいと僕は思っています。

罪悪感に苛まれる

相手がどんなに許せない人であったとしても、人を傷つけると罪悪感を感じると思います。傷をつけるのではなく、怒りを覚える人とは距離を置き今置かれている環境そのものを変えていけるのなら、変えてしまうと良いと思います。

エスカレートして両者とも苦しむ

闇そのものが消えることがないため、ぶつけ合いはエスカレートし、どちらかの命に関わる大事になる場合もあります。人を呪わば穴二つ。この場合もやはり、自ら諍いを退き大変な事態になる前に距離を置くことが大切だと思います。

まとめ

やられたらやり返すを起こさないためには

怒りを感じる人と距離を置く

とゆうことが僕の答えです。

今回はやられたらやり返すという思考の弊害について考察しました。そして、やられたらやり返すという思考 を抜け出すため、傷ついた怒り、苦しみなどの負のエネルギーを他の人へぶつけるのではなく自己成長へのエネルギーに変えていくことが大切ということをお話ししました。

人が生きている限り、沢山の迷惑をかけ生きていることを認識する必要があります。自ら犯した沢山の罪は自分の罪と受け入れるとともに、周りから受けた傷は自己成長に使うんだと思えるようなしたたかさ、寛容さをもって、今を超えていきたいです。生きることは残酷で地獄のようだけど、生きているだけで偉いってことは忘れないで下さい。僕から君への願いです。

最後まで読んでくれてありがとう。バイバイ。

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頭の整理を目的としたブログです。日常生活の中で思ったこと、感じたこと、メモしたいことなど、ジャンルを選ばずに書き留めたいと思います。